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成 功 体 験 談

平成12年 1級管工事施工管理技士資格取得

三浦 基実さん(50歳)

生活環境を、さらに創造するために

 
 仕事上の必要に迫られて

40の手習い”というが、三浦さんの場合は50の手習い。それだけに苦労も多かったようだが、それでも、仕事上、どうしても必要だっただけに、背水の陣で試験勉強に励んだ。そして合格。つぎは1級土木施工管理技士を目指し、こちらも、すでに1次試験にパスして、あとは2次試験日を待っている。この本に三浦さんの記事が掲載される頃は、すでに1級土木施工管理技士の合格の知らせを受けているに違いない。

 ノートに書き写すことから

 三浦さんの会社は、福岡市博多区東光、福岡空港へ向かう途中にある新明和エンジニアリング株式会社で、航空機でよく知られている
「航空機で有名なのは親会社の新明和工業の方ですね。うちはそこの子会社です。新明和工業製品のメンテナンス会社で、駐車場設備を中心に、ポンプ、水処理関連製品、メカトロ製品の据付、メンテナンスからシステム開発までやっています。」
 大分出身の三浦さんは、3年前まで新明和工業の大分営業に勤務していたが、福岡へ人事異動、いまは下水関連のポジションを担当している。
「仕事上、管工事施工管理技士の資格がどうしても必要なので、勉強にかかったのですが、想像以上に大変でした。」
 問題集をやっておけば、何とかなると軽く考えていたのが甘かった。
「問題そのものが理解できないとなれば、手も足も出ません。基本になる教科書をいちいちノートに書き写していたら、ノート6冊にもなりました。」
 三浦さんは、ふっと思い出したように「これまで学生時代を振り返っても、これほど勉強したことはなかったような気がします。」そういいながら、びっしり文字が詰まったノートを見せてくれた。

 書いて覚える

 「航空関連の仕事にあこがれ、最初は設計でしたが、いまは営業とサービス。だったら、徹底して下水のことを勉強してみようと考えたのが動機でした。やはり50歳ともなれば、記憶力が抜けます。ノートに書き込んで、勉強したつもりでも、前の部分はすっかり忘れてしまっている。年には勝てないと痛感しました。」
 三浦さんは、そう言いながらも、二つ目もクリアしたのだから、さすが、というほかはない。
 仕事だから、下水に関してはよく理解しているものの、管工事施工管理技士には空調、消火栓など、違った部門がいろいろ出てくる。それらのものは、イチから勉強ということになる。
 「記憶力もさることながら、50歳ともなると理解力も低下しています。(九州建設)学院で勉強しながら、理解して、それからノートに書き写し、何度も読み返して初めて問題集に取り掛かる。家で寝転がりながら教科書を読むだけでは、とても先へは進めなかったと思います。」
 理解してノートに書き写すことで頭へ叩き込む。三浦さんの勉強方は、この連続だったことは間違いない。

 スポーツで膝を痛めて

趣味について尋ねてみた。即座に「ゴルフ」という答えが返ってきたが、すぐにまた「最近はやめています」という返事だった。福岡へ人事異動で転勤になったあと、三浦さんの自宅はまだ大分市内にある。それだけにゴルフを楽しむ時間的な余裕がないのだろうと勝手に想像していたら、これは違った。
「学生の頃、あるスポーツをやっていたのですが、連日、ウサギ跳びをやらされて、膝を痛めているんです。ゴルフをやっていたら、その膝がまた痛み始めたので、やめました。」
 以前は何かといえば、どこのスポーツクラブも、ウサギ跳びをやって練習させられた。それが、最近は膝を痛める原因になると、やめるところが増えている。三浦さんは、その犠牲者の一人かもしれない。
「そんなに大げさなものではないですが、ゴルフって膝にかかる負担が結構強いらしくて、ゴルフのあと痛むんですよ。」

 生活環境創造会社

 親会社の新明和工業の本社は西宮市。会社のパンフレットを見せてもらっているうち、会社の基本コンセプトともいうべき、この一文に感激した。
“人と社会をじっくり見つめ、快適性を追求する、私たちは「生活環境創造企業」です”
「いろいろなものを取り扱っていますが、すべては生活環境をよりよくするものばかりですから、そうですね。」
 間もなく始まる実地に触れ、1次と違い、あとは簡単だろうと水を向けたら、三浦さんは表情を引き締め、「とんでもない。皆さんにあとは軽いだろうと言われるけど、難しいんですよ。すべての問題が原因と結果を、マルバツ式ではなくきっちりと文章にするのですから。」と。静かに試験日を待っている表情の中に余裕が感じられた。

※九州不動産専門学院グループ同窓会、九栄会の会員でもある。

成 功 体 験 談

昭和58年 宅地建物取引主任者資格取得

上田 映子さん(41歳)

奥の深い保険の仕事のために

 
 お客様本位で生きて

一般の人はご存知ないかもしれないが、認定生命保険士という称号がある。日本保険協会が与えるものらしいが、成績も考慮に入れられるし、教科の試験にもパスしなければならない。お客様とのトラブルが発生すると、それがほんのちょっとしたことであっても与えられない。だからこそ、上田映子さんは、名刺の肩書きにきちんとこの称号を印刷している。それに「保険のお仕事は、ある意味での悩みごとよろず相談所の担当マンみたいなものです」という上田映子さんの、これまでの生き方は、社会とともに歩きながら、「お客さんのお役に立ちたい」という願いがすべてに込められているようである。

 バブルの余波

―保険の仕事と宅地建物取引主任者の資格、どこかでつながっているのだろうか。
 「いいえ、べつに関連はありません。ただ、私の取引先に不動産関係の会社が多かったのです。私が資格を取得したのが、昭和58年、1983年ですから、当時、資格取得もだんだんと厳しくなってきたときでした。」
―その頃はバブルが始まる直前で、世の中の景気もよかった。
 「たまたま知り合いの人から、いま宅建の資格を取得していないと、不動産商売ができなくなってくる。このために東京あたりでは女性たちも積極的に資格を取得しようとする人たちが増えてきていると耳にしました。」
 これが、上田さんのきっかけになった。

 情けは人のためならず

 取引先の不動産会社の社長から「うちの息子も資格取得の受験をするから」と協力を依頼された。また、同じ取引先にこの不動産専門学院の関係者の人がいたのも幸いだった。
「さっきも申し上げましたように、そのころ、建設会社や、不動産関係者との取引が多かったので、宅建の資格は役に立ちました。いろいろなことでご相談を受けても、ある程度理解しているから、親身になって相談に乗ってあげられるでしょう。」
 ちょうどその頃、転勤の連続だったお父さんが、郷里の熊本県荒尾市に持っていた土地を売ることにした。

 「結構広い土地でした。実家に帰ったときに契約書を見て、変なことに気が付いたのです。手数料が異常に高いし土地の値段も安すぎる。すぐに調べて、契約を破棄させましたけど、このとき両親はもちろん、親戚からも感謝されました。」と、上田さんは笑顔で話す。

 保険の仕事は奥が深い

 
「保険の仕事をしていると本当にいろいろな相談を受けます。例えば、遺産相続の立ち会いまでさせられたり、税金対策など、キリがないほどです。会社社長が亡くなって、残りの遺産はすべて経営する会社に渡るのはいいけど、このままでは残された家族が路頭に迷ってしまう。何とか法律で救う方法はないのだろうか、など弁護士並みの相談も受けて、慌てたこともありました。」

 500枚の年賀状

 上田さんの趣味は絵。それもハガキに挿し絵風の絵を描いて送ることが大好き。
「正月などは、毎年500枚ほど送りますが、それに私のちょっとした挿し絵を添えて送るのですけど、これを楽しみにされてる方がいるので、大変です。手抜きができないので、毎年、お年賀の時期になると本当に大忙しですね」と上田さん。
 それでも、表情はおだやかで、本当は嬉しそうでもある。絵が趣味といっても、絵筆を携えてどこかへ出かけるということもない。身近な題材を見つめながら、デッサンするのが大好きのようである。
 「心の安らぎを絵筆に託しているのかもしれませんが、描いているときは夢中ですから、それがいいんでしょう。」
趣味さえもきっちりと仕事に役立てていく上田さんの姿勢には本当に頭が下がる思いがする。

 マンション管理士
 
 上田さんは、危険物取り扱いの資格も取得している。
「これも行きがかりで取得したのですが、結構仕事上で役に立っています。生命保険だけはなく、スミセイ損害保険代理店なども担当している関係で、ビル管理などのときは役に立ちます。」
 これに、将来を目指して、マンション管理士にインテリアコーディネーター、それにモデリング(模型)の資格を取得する決意を最近固めた。
 勤めた生命保険の仕事も間もなく24年目を迎える。成績次第で定年のない仕事とはいえ、このままというわけにはいかない。そこで上田さんは、将来マンション管理士の資格を得て、女性だけのマンションを管理していきたいと夢に描いている。
 先に触れたが認定生命保険士になるのも大変なのに、上田さんはIQAの認定も受けている。こちらは成績だけではなく、お客さんとのトラブルが一つでもあれば認定は無理。まさに優秀な人に与えられた称号のようなものといえそうだ。

※九州不動産専門学院グループ同窓会、九栄会の会員でもある。

成 功 体 験 談

平成11年 トレース技能検定試験合格

小山 弘さん(58歳)

“中高年の希望の星”に

 
 通信教育で難関を突破

生涯が勉強なり、という言葉がある。人は年齢を積み重ねるとともに、学習という言葉から縁遠くなるものである。まして、通信教育で、資格試験を乗り越えるともなれば、並みの努力では障壁を乗り越えるのは難しい。町役場の職員として、いま担当している仕事にも役に立つから、と通信教育で挑戦して、小山弘さんは、トレースの資格に見事に合格された。

 町長さんからも激励を

小山さんは、いま、長崎県口之津町役場の水道管財課の副参事で、昭和568月から、ここに勤務している。
 水道管財課の仕事にもいろいろあるが、この中の一つ、町道や里道など、土地の境界関係を調べ、地積図や字図などを書いて登記所に提出するのが主な仕事である。
「地積図は500分の1で、字図は1000分の1。私たちの仕事は、わずかな誤差も許されません。それで毎月登記所から登記の移転通知がありますので、地積図などを必死になって修正しています。」
 小山さんは、そんな仕事上の必要に迫られ、トレースの資格にチャレンジしてみる気になった。そうはいっても、50歳を過ぎていた小山さんは、大いに迷った。資格を取得できる可能性はあるだろうか。まだ、踏ん切りがつかないでいたとき、勇気づけてくれたのが、三原松朗町長だったのである。三原町長から「大変だろうが、やってみなさい」と言われ、ポンと背中を力強く押された気分だった。

 月一回の講座で福岡へ

 そこで、小山さんはいろいろ調べ、福岡市の九州不動産専門学院のことを知り、通信教育で対応してもらえることも知った。福岡と長崎県口之津町は遠い。月一回の講座に出かけるにも、終日潰れてしまう。
「(学院から)送られてくる資料だけではどうしても分からないところがでてきます。それを貯めておいて、講座で福岡へ出たとき、先生に質問して教えてもらいます。これがよかったのですね。」と小山さんは笑顔を振り向ける。
「とにかく0.1ミリの世界ですから、役場が休みの日は、ほとんどの時間をトレースに費やしました。細かい作業だから時間を食います。それで、仕上げたら学校に送り、添削してもらうやり方ですが、じつに勉強になりました。添削で間違いや、こちらの勘違いを指摘してもらえるのですが、これに講座で補習していきますから、よかったです。」
 図面を引くとき、特殊なコンパスを使うのだが、これも補習で学び、使えるようになった。あれもこれも、すべてが仕事に直結するものだから、勉強に対する身の入れ方も真剣そのものだったのである。

 熱に悩みながらの受験

さて、いよいよ受験の日だった。小山さんは風邪をひき、熱が38度を越えていた。
「一度は受験をあきらめ、一年後に受験する気持ちになっていました。学院や周辺の方々から励まされ、チャレンジすることにしたのはいいけれど、残念ながら合格の自信はありませんでした。」

 それだけに、合格したときの喜びようは想像に難くない。かくして平成11年に資格を取得した。
 小山さんから、小さな定期入れのようなものに入っていた合格証明書を見せてもらった。
認定・トレース技能検定4級財団法人実務技能検定協会”
 周りに資格を取得している人は他にいないのか尋ねてみた。
「私の知る限りではこの周辺の役場にはいないようですね。」

 別に、小山さんが胸を張るわけではないが、登記所の関係者からの信用が違ってきた。そして、一番大切なことは、小山さん自身が仕事に自信が持てるようになったことかもしれない。

さあ、次は宅建

 小山さんは、随分以前から書道講座を受けていた。というより書道が唯一の趣味でもあった。
「こちらも通信教育で講座を受けていたのですが、いくら頑張ってもうまくならないし、最近はトレースの勉強に追われて、一時中断していましたが、東京の先生の方から励ましのお手紙を頂いたりして、改めて師範講座の受講を始めました。(実務書道師範は、3級〜1級があるが、1級の合格率は1013%の難関。)このことが嬉しいですね。」
 さらに、次の目標も小山さんは決めている。宅地建物取引主任者の資格を獲得することだ。
「トレースでは役場を(定年で)辞めたあと、独立して仕事が出来ませんから、宅建を狙うつもりでいます。」
 まだ、考えが固まった状態ではないが、決まれば間もなく小山さんは勉強を開始するに違いない。これまでの頑張りを考えれば、いくつになっても小山さんは壁を乗り越えていくだろう。

※九州不動産専門学院グループ同窓会、九栄会の会員でもある。


成 功 体 験 談

平成11年 司法書士資格取得

池田 信一郎さん(30歳)

「経済」が「法律」に

 
 数多くの司法書士事務所

もし、歩いていて「看板」にぶつかれば、まず、それは司法書士事務所のものではないだろうか、と考えたくなるような、すごい数の司法書士事務所である。福岡市舞鶴地区にある福岡法務局の周辺を歩いてみて、その司法書士の事務所の数の多さにはびっくりした。福岡県下に、ざっと700人の司法書士がいて、その中の200人が、この狭い舞鶴周辺に事務所を構えているというから、その密集ぶりが分かってもらえるというものだろう。ところで、目指す、池田信一郎さんの事務所もこの一角、それも福岡法務局が目の前という便利なところにあった。

 名刺交換から営業に

 福岡市で開催される異業種交流会に出て、名刺を交換した人たちを中心に、毎朝、池田信一郎さんは営業に出かける。
 このことを聞いて、司法書士の方々にも“営業”があるのだろうか?と首をひねった。
「まだ、僕は新米です。人との接触が即仕事に結びつきますから、まず名刺を交換した人たちをお尋ねすることから始めないと、先へ進めないのです。独立する前に、いろいろな先輩から、3、4年は食べていけないよ、と聞かされていましたが、それは人とのつながりが薄いからだろうと考えます。」
 まだ、初々しさが全身に漂う池田信一郎さんは、前髪姿で、剣の修行に出た若武者という感じがする。
「司法書士といっても、大勢の方はどんな仕事をやっているのか、よくご存知の方は少ないんです。それで、営業というより、僕らの仕事を理解していただくために啓蒙をかねて歩き回っていると言うのが現実でしょう」と、池田信一郎さんは、打ち込んでいたパソコンの手を休めて、顔をこちらに向けてくれた。
 まだ、今年4月に、先輩の事務所に独立した自分の事務所を開いたばかりの新人の司法書士の先生は、少し顔を赤らめるようにはにかんだ。

 庶民のよろず相談所

 「先輩の言葉から厳しいことは覚悟のうえでしたが、確かに厳しい世界です。先輩たちのところには、人がわざわざ相談にやってきてくれますが、新人の僕のところへは誰も尋ねてきてくれない。それで、自ら出て行ってお話をしているうちに、どれが仕事になるのかが分かってくるのです。」
だから、池田信一郎さんは、朝から事務所を出て、いろいろな人を訪ね、話をしているうちに、仕事の広がりを見つけていくのである。
 いま、福岡県司法書士会は、無料電話相談を受け付けている。
 例えば、クレジット・サラ金問題、それに一般相談などを、「困ったことがあれば、何でも相談下さい」と呼びかけているが、一般の人たちは、どんなことについて相談すればいいのか迷ってしまう。
 「僕らの仕事は、法務局、裁判所、検察庁などに提出する書類を作成することが基本ですが、サラ金や、クレジット問題など、不動産などの法律相談なども受け付けます。」と池田さん。

 バブルはじけて、司法書士へ

池田さんは、北九州市若松区の出身で、福岡大学経済学部へ進んだ。
 卒業したら何か独立した仕事を持てないかと考え、九州不動産専門学院へ通いながら宅地建物取引主任者の資格を狙った。
「当時はバブルの最中で、大学を出たら不動産関連の仕事を狙ってみようと考えて、大学とは別に不動産専門学院で勉強していました。資格も獲得したのはいいけれど、大学を出た途端にバブルがはじけ、不動産関連の仕事は夢となってしまいました。そこで、どうするか考え込みました。」
 卒業と同時に就職という道もあるにはあったが、池田さんは何か他に独立してやれる仕事はないかと周囲を見回していた。
「ここで幸いしたことに、不動産専門学院時代に司法講座も受けていた関係で、司法書士のことが頭をよぎったのです。これなら、希望通りに就職せずに自分で自分の仕事ができると考えました。」
 すぐに勉強にかかったが、なにしろ大学の学部は経済。法律はほとんどゼロからの出発のようなもの。
「僕にとっては難しい受験でした。結局は資格を取るまでに5年かかりましたから。」

つぎは結婚か!

 池田さんは、まだ独身である。とはいっても、どうやら恋人は存在しているようである。質問したら「???」と直接には答えてもらえなかったが、笑顔が答えていてくれた。
「まだ結婚しても奥さんを食べさせることができませんから。でも、そろそろですね。」と池田さんは笑顔を見せた。
 趣味は音楽と映画。しかし残念なことに、今はどちらも思うように楽しむことができない。
「すべてにおいて仕事優先なので仕方ありませんが、それでも時間が許せば、やはり映画を観ます。この仕事を始めて、しみじみやり甲斐のある仕事だと思いますね。」
 さて、間もなくよき伴侶を得て、仕事にも余裕が出て、池田信一郎さんも映画や音楽をゆっくりと楽しむことができるようになるに違いない。


※九州不動産専門学院グループ同窓会、九栄会の会員でもある。

成 功 体 験 談

平成12年 2級土木施工管理技士資格取得

山本 健太郎さん(25歳)

父の背中が教えてくれた

 
 父の勇姿から進むべき道

父親の背中を見て育っていく子供は少なくない。山本健太郎さんも例外ではない。最初は、料理好きということから調理師を目指したものの、当時、重機のオペレーターだった父の仕事ぶりを見ているうち、山本さんは父と同じ道を選ぶことに決めた。現場で働く父の勇姿が、山本さんの将来を決めた。今は亡き父は、生前、口では直接何も言ってくれなかったが、その目は嬉しそうに微笑んでいた。

 将来のためにつぎの資格を

 ちょっと前まで、山本さんは管工事施工管理技士を目指して猛勉強中だった。最後の追い込み中の山本さんに九州不動産専門学院でお会いした。実に爽やかな好青年である。
「会社は、今お休みをもらっています。というより、この暑い時期はどこも仕事が少ないので、会社から休みをもらって、管工事施工管理技士の資格を取得するために学院に通い始めました。」
 日曜日の午後5時過ぎ、取材を受けるならと、わざわざネクタイ姿でやって来てくれていた。冷房がきいた部屋ではあるが、汗がかすかに流れる。
 なぜ、いま管工事施工管理技士なのだろうか。
「鞍手郡全体が、なぜか井戸の家が多いんです。近い将来、これが水道に切り変わる日がやってくるといわれているので、今のうちに施工管理を勉強しておこうと考えました。幸い、仕事も少ないし、こんな時期こそ勉強に打ち込めると思ったのです。」
 確かに、狙いはよかったのだが、今年は格別な暑さが続いた。勉強するにも大変な集中力に、猛暑との戦いも加わった。

 無口な父が熱心に指導

 山本さんは、県立西鞍手高等学校を卒業すると、19歳の時から建設現場で働いた。数年前に亡くなった父に指導を受けたこともあった。
「どちらかといえば無口な父は、何も言ってはくれなかったけれど、嬉しかったのではないでしょうか。仕事のことを少しでも質問すると、必要以上に熱心に教えてくれました。」
 口数の少ない父が、突然饒舌になる。そこには親子の会話とともに情感が流れる。
「父といっても、私を連れて母が再婚したので、血のつながりはありません。それでも、仕事しているときの父はかっこよかったですよ。」
「今でも私は料理が好きで、家では自分の好きなものを勝手に作って食べていますが、現場での父の姿を見ていなかったら、やはり調理師の道へ進んでいたでしょう。」
現在、福岡県鞍手郡で、お母さんとお姉さんとの3人暮らし。
「現場の仕事はそれなりに収入もいいし、今は本当にこの道を選んでよかったと痛感しています。」と、山本さんは笑顔を向ける。

 ヘラ鮒釣りで気分転換

山本さんは、小学、中学、高校を通じてバスケット選手としても活躍した。唐突にバスケットの魅力について尋ねてみた。
「小学生のとき、ただ何となく始めたら、これが予想外に面白くて、中学,高校で続けました。魅力ですか?ただ気分がスカッとするから続けてきたようなもので、それだけですね。」
スポーツの魅力は、その気分がスカッとするところにある。バスケットで鍛えた体は、どんな過酷な仕事にも耐えるし、資格を取得するときの勉強にも大いに役立っているようである。
 そんな山本さんの趣味といえば、釣りである。
「鞍手郡内には川が多いこともあり、気分転換には近くの川へ出かけて釣り糸を垂れ、のんびりと過ごすのが好きですね。ここのところ、勉強に追われて釣りは行っていません。とはいっても今年はすごい暑さだったので、釣りどころではありませんでしたが。」
大きな体の山本さんがのんびりと川でヘラ鮒を釣っている姿は、どことなくユーモアさえ感じられる。

 最後の追い込みは猛勉強で

 「時期はまだはっきりしませんが、町の水道管工事が始まれば仕事も増えて、忙しくなるのは当然ですが、これと並行して、冷暖房や空調関係の仕事も多くなることでしょう。例えば、町のレストランの空調など、楽しみですね。」
 一度は目指しかけた調理師の世界。空調を扱う仕事に従事すれば、その中の一部がのぞけるかもしれない。そんな気持ちがどこかにあるのかもしれない。
「でも、その前に管工事施工管理技士の資格を取得することが先決です。本当は朝から勉強するべきなのですが、どうしても周辺が暗くなって静かにならないと勉強に身が入らないのです。」 
 そうは言いながらも、試験までの日数を指折り数えながら「もう、そんなことは言っておれません。明日からは朝早くから勉強します」と、笑顔で目には見えないハチマキをぐっと締め直していた。
 この記事が掲載される頃には、新しい管理技士として、活躍中に違いない。彼の頑張りと勉強ぶりから、それを信じて疑わないのである。頑張れ!健太郎さん。


※九州不動産専門学院グループ同窓会、九栄会の会員でもある。